so, shooting star

脳内デロデロ考察

関ジャニ∞に心を本気で救われた話

 冗談でなく、本気で救われているのだ。関ジャニ∞という存在がなければ、死にかけていた薄暗い私の心の中に関ジャニ∞という光が刺さなければ、生きてなかったと断言できる。

 ここから先は半分ほど私の話になってしまうので関ジャニ∞の話をせえやって思われた場合はそっとブラウザを閉じることを推奨します。

 

 

 私は現在看護師として働いている。看護師になるには、様々な学校がある。高校から進む人、専門学校、大学、はたまた社会人を経験してから学校に通う方もいる。

 私の看護師になるきっかけは親からの勧めで、誰かに無条件に優しくできる仕事で、全国どこでも働けるからという理由で、私自身の夢ではなかった。資格も欲しいしね。

 目標を看護師に定めたはいいが、どこに入ろうか少し悩んだ。卒論を書きたくなかったため、大学にも行きたくないな、と思った。地元には、全国トップクラスの病院があって、設備も看護師の対応も良く、看護学校もあった。働くならあそこの看護師がいいな、とぼんやり考えた。 高校進学もまあ1発で行けたし、まあワンチャンいけるやろ。

 こうして高校生の私は、推薦で受かりはしなかったものの、希望した看護専門学校に進学した。(ギリワンチャンあった)

 晴れて看護学生になった私は、看護の本質をそこで知る。病棟で見ていたあの天使達は、目の前にいる患者さんを一瞬で判断して、時には鬼のように厳しくなり、時にはその知性を余すことなく患者に伝えることをするのか、ただ優しくするだけじゃない、と。その時点で私のやりたい、誰かに無条件に優しくできる仕事とは違っていたのだ。

 正直この時点で心は折れていた。「あー、私看護師向いてないんやわ。」と感じていた。12月にあった、初めて患者さんと本格的に関わる実習でも、患者さんのため、というより“病棟の看護師さんに何言われるかわからない”、“看護師さんは忙しくされているのに私なんかに時間をさいていただくことがまず苦痛じゃん…?”、“これで正解なのだろうか、違っていたらどうしよう”と思いから、看護師さんに相談できず、患者さんに必ず必要な項目を自らのためにやっていた。看護師としては論外なのだが、そうでもしないと私のちっぽけなプライドや周りからの目に過敏すぎる心はズタズタの状態だったのだ。同時にこの頃は彼氏ができ、浮かれポンチクソ看護学生だった。浮かれポンチクソ看護学生の春は早急に終わり、ぼーっと生きていた。危うく落単しそうになったがギリギリで留まり、進級が決まった。

 

 お待たせ ジャニーズの話だよ。(は?)

 

 2年生に上がる前の春休みにジャニーズ鑑賞会をすることになったのだ。

 私は以前、嵐が好きだった。いや今も好きですが。そのため、Beautiful Worldの円盤を勢いで購入していた。地元の友達は、ジャニーズWEST(以下WEST)のオタクとNEWSのオタクになっていた。

(ちなみに3人とも2次元にズブズブのズブだったので、人生なにが起きるか分かんないけど結局みんなジャニーズに帰ってくるのは同じやなと爆笑しながら話していた。)

 そこで見たWEST(パリピポ)で、アッ好きってなった。藤井流星くん?めちゃめちゃめちゃめちゃ顔がいいやん、え、人間?人間のスタイルかそれは??そんでもってこんなにも天然なの?やっば可愛い保護したい となり、WESTを大好きになっていた。チョロい。そのあとの経緯は前の記事を見るとめちゃめちゃ分かるやで。WESTくんの先輩、関ジャニ∞ってどんなことしてるんじゃろ、って思ったのが間違いであり正解であり今生きていることに繋がっています。(元)店長ありがとう!

 そんなこんなで関ジャニ∞も大好きになったくそチョロ私、関ジャニ∞の何が一番好きか聞かれたら楽曲がアッパー系のものが多いから大好きなのだ。“急☆上☆SHOW !!” や “無責任ヒーロー”、“勝手に仕上がれ” などなどいわゆるバンドサウンド+ブラスバンドがとても好きだ。元が根暗気味なので、ドーピングのような形でアッパー系の曲をよく聞く。バラードはゆっくりすぎて死にかける時がある(“侍唄”、“あなたへ”は未だに苦手である。聞くけどね!)。ただこれで生かされた訳じゃない。この時はまだメンタルが死んでいないからだ。

 ここから地獄が始まるのだ。

 必修単位の中に、“基礎看護学実習”というものがある。前述した12月の実習も基礎看護学実習であるが、2年生の初夏、今度は13日間の実習があったのだ。他の人より実習での対人関係にストレスを感じやすい私は、なんとストレスを感ぜざるを得ない看護師が多めの実習部署(以下クソ地獄病棟)になってしまったのだ。(現在勤務していてもその部署と聞くとゾッとする)

 13日間毎日泣いていた。ムリムリのムリだしキツキツのキツ。看護学生の人権なんてありゃしなかった。(看護学生あるある)

 嗚咽混じりでなんとかご飯を食べ、なんとか書く記録、なんとか患者さん、看護師と喋る毎日、私より進んでいるチームメイトを横目に本気で命からがら実習を終えた。

 “なんとか”終えることが出来たのも通学で朝と夜に関ジャニ∞とWEST(これまたアッパー系)をひたすら聞いていたからだ。実習が本気で嫌すぎて止まらないかなと思った電車の中でも、「いーやっ、みんなの方が頑張ってる」と少しだけ、少しだけ思えたのだ。なんなら今思い出して2年初夏の実習云々の事を書くだけでもすげ~~~~泣いてる。しょうがない。よく頑張ってたよあませは。

 その実習が再実習となった。つまり点数が足りなかった。たった2点、2点だけ足りなかった。その時の私を再現すると

 あと2点くらいくれや!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 足りないもんは足りん。なのでまたクソ地獄病棟に10日間お世話になることになった。悪寒と戦慄、頭痛、腹痛のフルコンボ。「あ〜もう腕疲れたぁ〜!」どころじゃない。全身に致命傷。親に顔向けできない、何もしたくない!このまま学校を辞めて遺書にクソ地獄病棟のあの看護師のあの視線が忘れられないです!あの女のせい!!!という旨を書いて死んでやる!!!と本気で思った。

 再実習を告げられた日の帰りも例に漏れず、ウォークマンでジャニーズをフルシャッフルしながら帰っていた。泣きながら。ここで轢かれないかな~~~とか思いながら歩いていた。むしゃくしゃしていたので、テンションの下がる曲を飛ばしていたら、ギターの力強い音と “絶対!” という7人の歌声に気づいた。

 関ジャニ∞の “ふりむくわけにはいかないぜ” だった。

走り出す先じゃ いつも つまづいてばかり だけども ドアを開けなくちゃ

とにかく この場所から 新しい場所へ 走る いまこそ その時

うわ~~~~!!!(チャリ置き場で号泣)(チャリ見つからない)(涙鼻水で顔が死ぬ)

まさに、まさしく私のことを言っているじゃん!エ?!関ジャニ∞?!頑張れって言ってくれてる!!!!わたし、新しいところに頑張っていかなくちゃ!

ふるえる程の ため息をついて から回ってしまった本音 うつむいた心 今夜で終わらせる

終わらせちゃる~~~!!!こんなにネガティブになんない!やりたくないとか死にたいとか言わない!!

絶対ふりむくわけにはいかないぜ さらば昨日の悲しみよ

奇跡を起こしたいなら 自由に生きて 愛しなよ

つながれよ 心と心 枕たたいて 声枯らして 踊り出せよ

絶対ふりむくわけにはいかないぜ

す、すき…………

 関ジャニ∞に言われて(歌われて)みて初めて わたし、自分自身のことを愛せていないのかも と思えた。前述したように、私は誰かの機嫌を取ることで自分自身のアイデンティティを守っていた。そうすることで、わたしであると主張していたきらいがある。ただそれは、“他人に嫌われたくない” が故の、人生を平穏に過ごすための生き方に過ぎなかった(強く言いすぎて叩かれたこともあった人生)。それは他人が主役の人生であることに気づいて、あ~~~~、納得 みたいな。この日から“ふりむくわけにはいかないぜ”は私の応援歌となった。

 その日以降なんとか実習を頑張って単位を回収した。思えばまだ地獄の始まりの序章なのだ。

 私の卒業した学校は、実習が13日×10クールで全部で130日もあったのだ(看護学校看護学科にしては多すぎる実習日数で、たいてい驚かれる)。夏休み、春休みはあったが、それでもほぼ毎日病棟、看護師さんからのプレッシャー、溜まっていく実習記録、終わらない関連図。胃腸に大ダメージを与え、下痢クトリカルパレードだった。なんか下痢だけで40℃も出た。ストレス耐性がついていなかった。

 例に漏れなく、私はずっと関ジャニ∞を聞いていた。“ 今 ” や “ 前向きスクリーム ” 、“ 情熱party ”、とにかくその時の私にとっては、生命を保つための命綱だった。何聞いても涙が出るそれ。

 奇しくも、私が実習を行っていた4月、渋谷すばるさんの脱退報道、会見が行われた。

 嘘やろ……………………?

 正直それどころでもない気持ちもあったし、すばるが抜けた関ジャニ∞を受け入れられない自分もいた(未だにすばるは私の心の中で関ジャニ∞として生きてる)。でもきっと、前に進むための決断に至るまで、日々どうしたらいいか考えていたはずだよな、という思いになった。なぜなら、私たち看護学生も、日々患者さんのことをより良くしていくにはどうしたらいいのか考えていたから。この時、関ジャニ∞が頑張って進もうとしてるのに、私はどうして「やりたくない」だとか、「死にたい」「病棟に行くのが怖い」なんて思えるの? と誰かに言われたような気がした。きっとそれはほかの誰でもなく、関ジャニ∞を応援するいちファンとしての私の本心だろう。この時から、毎日病棟に行くことを目標にして生きるようになった。

 わたしはそれでもポンコツなので、実習成績は正直酷かった(笑)。130日を終えてみて、1年間めちゃ早!な気もしたし、長かったな、という思いもあった。進歩してるんかなーと思うけど、“ キングオブ男 ” 聞いてたら、夢を掴むまで止まんじゃねえ って思えた。

 待ち受けるのは国試のみだと思うとだいぶ気が楽だった。座学は好きだし、何かを突き詰めるのも好きだったから、もう永遠に座ってもいいと思うと天国かと思った。勉強中に、関ジャニ∞の曲をひたすらシャッフル。これが案外集中できた。特にCloveR。そのおかげか、徐々に成績は上がっていって、国試本番では一番いい点数が取れた(これはきっと看護師あるある)。

 

 ブログアップ日は ナイチンゲール の生まれた 看護の日。看護って人の生活や思いを支えているものだと思うし、今なら辛かった実習もプロになるためのトレーニングだなあと思える。二度としたくないけど!

 

 めちゃめちゃ長々と書いてしまったな。

 実はこれ自分の気持ち整理のためのブログなのであんまり使えない。要点をまとめると以下のようになる。

  • 学生の時のメンタルがクソザコナメクジ
  • 関ジャニ∞に出会う
  • アッパーな曲で元気になる
  • 関ジャニ∞の曲で自分自身を大切にするという気持ちが芽生えた
  • 130日間、私はまじでよく耐えた
  • ふりむくわけにはいかないぜ はまじで後世に語り継がれるべき名曲
  • CloveRのPVめちゃかわいいよね
  • というか関ジャニ∞さんがかわいいよね

 

 これからもわたしは、前向きに生きようと思う。